下福島
天神社
天神社について
天神社
てんじんしゃ
当社の創祀年代は詳らかではありませんが、延喜元年(901年)正月、右大臣菅原道真公は左遷させられて淀川を船に召され筑紫へ下向されました。その折、当社の御祭神少名彦名命の御前に御拝あって海路の平穏を祈られると共に、地名を「福島」と名付けられたと伝えられています(『攝陽奇観』『攝津名所図会』)。明治42年6月には、神饌幣帛料供進社に指定されました(大阪府告示第203号)。
ここ福島にはかつて上之天神・中之天神・下之天神の福島三社がありましたが、中之天神が戦火で焼失。戦後、上之天神が中之天神を合併して福島天満宮と改称しましたので、福島で天神社と名を残すのは、ここ下福島天神社のみとなっています。
名 称
天神社(大正14年10月10日、村社「天満宮下之社」から「天神社」へ社名を改称。)
通 称
下福島天神社 (しもふくしまてんじんしゃ)/ 下之天神(しものてんじん)
旧 称
下福嶋天神宮(寛延元年拝殿鏡戸。『攝陽奇観』宝暦八年条。)/ 天満宮下之社
拝殿には「天神宮」の扁額が掛かっています。
御祭神
少名彦名命(本社主祭神)
菅原道真公(本社相殿)
天照皇大神外六座(大神宮社)
榎木神・市杵島姫命(榎社)
事平大神・宮比大神(相殿社)
宇賀御魂神・稚産霊神(稲荷社)
鎮座地
大阪府大阪市福島区玉川1丁目4番5号
鎮座地は不変ですが、住所表示は以下のように変遷しています。
明治21年10月 大阪府管下摂津國西成郡下福嶋村
明治34年 大阪市北区下福島二丁目
大正14年4月1日 行政区画変更に付、大阪市此花区下福島二丁目
その後、大阪市福島区下福島二丁目壹番地
昭和59年9月 行政地名変更により現在の住所表示となる。
例祭日
10月25日
由緒と
御神徳
ほん しゃ
本 社
主祭神
少名彦名命
(スクナヒコナノミコト)
相殿神
菅原道真公
(スガハラノミチザネコウ)
「体の小さな男性」神。日本神話では、神産巣日神(かむむすひのかみ。造化三神の一柱)の子で、その手の指の間から漏れ落ちた子だと言うほどの小人。大国主神(おおくにぬしのかみ)の弟格として協力して国作りをしました。現実の国に幸いをもたらす神、百薬の長として酒や医療の神、また石神としても信仰されています。
平安時代前期の公卿で学者。宇多天皇の信任を得て右大臣に任ぜられましたが、左大臣藤原時平の讒言(ざんげん)により大宰権帥(だざいごんのそち)に左遷されます。延喜元年(901年)正月、淀川(大川から現在の堂島川)を舟に召され筑紫へ下向の砌(みぎり)、当社のご祭神少名彦名命の御前に御拝あって海路の平穏を祈り、地名を「福島」と名付けられたと伝えられています。延喜3年2月25日に59歳で配所に薨じ、後に天神様として風雨水火を掌り悪者を退治する神、冤罪を救う神、慈悲救済の神、学問や諸道芸能の守護神として信仰されています。
天照皇大神外六坐社
(大神宮社)
あまてらすすめおおかみほかろくざしゃ
天照皇大神
(アマテラススメオオカミ)
「天にあって照り輝く偉大な神」。日本神話では、日神・穀霊神・高天原(たかまのはら)の主宰神・皇祖神・鏡や機織りの女性神とされています。伊勢の神宮(内宮)の主祭神です。
應神天皇
(オウジンテンノウ)
第15代天皇で、宇佐神宮のご祭神(八幡の大神)
春日大神
(カスガノオオカミ)
奈良春日大社のご祭神(タケミカヅチノ命・イワイヌシノ命・アメノコヤノネノ命・ヒメ神)
大國主大神
(オオクニヌシノオオカミ)
オオクニヌシとは「偉大な、国土の主」の意。多くの兄弟神がいましたが、試練を経てスサノオノ命から「大国主」の名をもらい、娘のスセリビメを正妻として国作りを完成します。のちに、天照大御神に国譲りをしました。
住吉大神
(スミヨシノオオカミ)
住吉に祀る筒之男(つつのお)三神(日本神話では、イザナキノ命が筑紫の日向の橘の小戸で祓除をされた時に誕生したと伝える)と神功皇后。国守りの神・海路平安(船玉)の神・農耕の神・和歌の神としても信仰されています。
猿田彦大神
(サルタヒコノオオカミ)
サルタヒコとは「穀霊たる日神の使いの猿が守る神田の男性」の意。天孫ホノニニギノ命が地上に降臨した際に、道先案内をつとめた神。
恵美須大神
(エビスノオオカミ)
招福の神として漁村・農村・商家に多く祭られます。近世以降に七福神の一として、また大黒と併祀して民間に受容されました。
【参考文献】
『古事記』(新潮日本古典集成)/『日本書紀』(新編日本古典文学全集)/『浪速叢書』/「江川家文書」(大阪市史編纂所)/『神道大辞典』(臨川書店)
『岩波古語辞典』/ 所 功『菅原道真の実像』(臨川選書)/ 立川武蔵「幻獣十選」(日本経済新聞、平成二十二年四月)